安いイヤホンを、何度も買い替えてきた。
千円台のものを買って、半年で片方の音が出なくなる。次はもう少しいいものを、と思って買い直す。それも、一年経つと低音が削れたように軽くなる。そのたびに、また探す。音楽を聴くための道具なのに、いつのまにか「壊れる前提で選ぶもの」になっていた。
別に、こだわりがあるわけではなかった。ただ、ヘッドホンというものに、それ以上の期待をしていなかった。鳴ればいい。安ければいい。そう思っていた。
ゼンハイザーという名前は、前から知っていた。レコーディングスタジオの写真の隅に、よく写っているメーカーだ。プロが使うものだから、自分には縁がないと思っていた。値段の話ではなく、なんというか、格が違う気がしていた。
調べてみて、知らなかったことがいくつかあった。1945年に、フリッツ・ゼンハイザーという人が創業したこと。今もその家族が、三代目として会社を見ていること。大きな企業に買われることもなく、ずっと一つの家族のもとで続いてきたこと。
七十年以上、同じ家族が音をつくり続けている。そのことが、なぜか引っかかった。
届いたヘッドホンを、初めてつけたときのことを覚えている。何かが「すごい」というより、何も足されていない、という印象だった。低音がドンと出るわけでもない。高音がキラキラと飾られるわけでもない。ただ、楽器の音が、楽器の音のまま聞こえた。今まで聴いていた曲のはずなのに、ベースの動きが、初めて手に取るように分かった。
派手さがないぶん、最初は少し物足りなく感じた。けれど、何日か使ってから分かった。これは、音を盛っていないのだ。盛っていないから、何度聴いても飽きがこない。安いイヤホンは、最初の数日だけ気持ちよくて、すぐに耳が慣れてしまっていた。あれは、刺激に慣れていたのだと、今になって思う。
「音は単なるビジネスではなく情熱だ」と、その会社は言っているらしい。最初に読んだときは、よくある宣伝文句だと思った。でも、世界初のオープンバック・ヘッドフォンを作ったのも、この会社だと知って、少し見方が変わった。誰もやっていないことを、最初にやる。それを、家族経営のまま、何十年も続けている。
壊れる前提で道具を選ぶことと、長く使う前提で道具を選ぶことは、似ているようで違う。前者は、いつも次を探している。後者は、もう探さなくていい。
三代目が受け継ぐ、ということの意味を、最近よく考える。技術を継ぐだけでは、続かない。何を大事にするか、という感覚そのものを、次の世代に渡せたときだけ、続いていく。
このヘッドホンを通して聞こえてくる音には、そういう時間の積み重ねが、静かに入っている気がする。

